伝説が始まった1983年
いつもご覧いただきありがとうございます!ハイフォースです。
今回はゲーム界の歴史に名を残し、今もなお現在進行形で世代を超えて世界中に多くのファンを持つ世界で一番有名なテレビゲーム機「ファミコン」を自分が初めて手にした時のお話しです。お時間あれば是非お付き合いください。
言わずと知れた任天堂の代表的テレビゲーム機「ファミコン(正式名称 ファミリーコンピュータ)」が発売されたのが1983年。今年は2022年なので今から39年前ですね…。
その頃の少年たちも今はオジさんと言われる年齢なワケで(自分も)随分と昔のような気がするけど、ついこの間のことのように思い出す事もできます。それぐらい記憶に残るような濃い時代が80年代だったのだと思います。
この年、日本ではNHKドラマ「おしん」が空前の大ヒット、ホビー関係では週刊少年ジャンプで連載されていた人気漫画作品「キン肉マン」の「キン肉マン消しゴム」も発売され空前のキン消しブームを巻き起こしたりしてました。当然、自分も集めまくりました。(Wiki参照)
そして記念すべき!1983年7月15日に我らのファミコンが発売されました!
当時の価格は14,800円。もちろん消費税など無かったですよ〜。
自分はそのとき小学4年生。すでにそれまでの間にLSIゲームやゲームウォッチ、テレビゲームでいえば任天堂の「ブロック崩し」を持っていたりとまぁまぁのゲーム好き、というか勉強そっちのけで遊んでばかりいたホビー好きな子供でした。

ファミコン以前のテレビゲーム事情
任天堂のファミリーコンピュータの事は、本体が発売された後に流れていたテレビCM(発売前にCMをやっていたかどうか覚えてません)や町のおもちゃ屋、デパートの玩具売り場なんかで知る事になるわけですが、ちょうどその頃の日本国内メーカーのテレビゲーム機の中で面白いと言われていたのはエポック社の「カセットビジョン」だったと記憶してます。
他にもトミー社の「ぴゅう太」とかありましたが、ぴゅう太は価格が高過ぎて持ってる人が周りには居なかったので遊んだ事はありませんでした。
小学3年生の頃にクラスメイトが「カセットビジョン」を持っていたので、たまに家に行った時にプレイした事がありますが、「きこりの与作」とパックマンをパクった「パクパクモンスター」のゲーム2つしか無くて大体1時間ぐらい遊んだらゲームに飽きて外に出て遊んでました(笑)

カセットビジョンで発売されたソフトは全部で11タイトルとちょいと少なめでしたね。
今振り返ると「きこりの与作」とかは特にドットがデカ過ぎでしたね。 まぁそれが時代を感じさせるみたいで良いんですけど(笑)
ヘイヘイホ〜 ヘイヘイホ〜♪

、、、少し話が逸れましたが、まぁ要するにその時代にテレビゲームというものを持っていた家庭は今とは全く違って多くなかったわけです。
テレビゲーム以外にも前述のゲームウォッチや電子ゲーム、電池不要のボードゲーム、ラジコンやプラモデル、漫画などありとあらゆる楽しいホビーがたくさんあって、まさにホビー天国な世の中でした。
さて、7月に発売されるも発売当初は爆発的に売れたわけではなく、購入した人もまだまだ少なかったファミリーコンピュータ。
ファミコン人生スタート!
その時は突然にやってきた!
その年のクリスマスの夜に普段からよく遊んでくれていた自分よりも歳がひと回り上の親戚の兄が家に来て渡してくれたのです。プレゼントを。
なんの前振りもなくファミコン本体を!
本体と一緒にカセット4本も一緒に!…恵まれ過ぎやろ〜(涙)
4本のカセットの内訳はというと「ドンキーコングJr.」「ベースボール」「マリオブラザーズ」「ドンキーコングJr.の算数遊び」。この4タイトルが自分にとっての初めてのファミコンでプレイするゲームであり所有するカセットとなりました。

(パッケージ画像は全部後期の銀箱ですが…)
4タイトルのうち「ドンキーコングJr.」と「マリオブラザーズ」はゲームセンターのAC版ですでに遊んだ事があったので(も、もちろん保護者同伴ですよ…)あのゲーセンでプレイしたゲームが家で出来るのか〜〜〜!!!という興奮に包まれた事を今でもしっかり覚えてます。
もちろん当時のテレビはブラウン管です。リモコンが付いてるのもあれば付いていないのもあるのが普通な時代。
ウチにあったテレビは多分20インチぐらいで大きめだったけどリモコンは付いていませんでした。なので、チャンネルはテレビ本体に付いていてガチャガチャガチャと回す事によって画面を切り替えてました。懐かし〜〜(涙)でも今それだったら超不便〜〜(笑)
ちなみにゲームする時のチャンネルは「2」でした。VHSビデオ見るときも「2」でした。
そんなこんなで冬休みにクオリティのめちゃくちゃ高いテレビゲーム機を手にした小学生が、ゲームにハマらないワケはなく毎日毎日ゲーム三昧な日々を過ごす事になるのは当然の流れだったわけです。
ただ、家に一台しかないテレビを自分が独占する事は困難な事でして、夕方過ぎに父親が仕事から帰って来るまでの時間が基本的には初期の頃の自分にとってのファミコンタイムでした。
そのうち、どうせなら父親もファミコンに巻き込んでしまえ!と考え、少し経ったぐらいに父の趣味のひとつだった麻雀のゲームがあるよと教えてあげて父用にカセットの「麻雀」を自分で買ってもらい無理やりにゲームの世界に引きずり込みました。

それによってゲームばかりする息子を大して怒ることもなく、父が仕事から家に帰って来た後にでも家の中でゲームをする時間を徐々に増やしていったのでした。
ちなみに父はその後に「囲碁」と「パチコン」を買いましたがそれ以外はカセットを買う事はありませんでした。というかほとんどゲームしませんでした(笑)
初期コントローラーは四角いゴム製ボタン

初期のファミコンのコントローラーのボタンはゴム製の□ボタンです。
この四角いABボタンは最初の頃は全く問題なかったのですが、数ヶ月もやり込んでいくとボタンを押したらちゃんと戻ってこないとかが頻繁に起こるようになったり、それが原因でゲームをうまく進められなかったり、なかなかにストレスを溜めさせてくれたコントローラーになり変わっていきました(笑)
確か、1985年に変わる前辺りには丸ボタンのコントローラーが発売されて交換が出来るようになったはずです。
自分もすぐに交換しましたが、まず最初にIコンの方だけ○ボタンのコントローラーに交換し、2、3ヶ月経ってからIIコンの方も交換しました(一度に2つ替えろよってハナシですが…)
□ボタンから○ボタンに変わった時の感動は当時を体験した人なら皆一様にわかると思います。一番大きな変化はボタンの連打!!
これは本当に劇的な変化であり、操作性が大きく変わりました。
まぁ物理的にボタンがゴムからプラスチックに変わったというだけでも大きいのですが、ボタンを押してから返ってくる反応の早さが段違いに変わった事により、いわゆる連射が簡単に出来るようになったんです!
□ボタンの時はボタンの中心部分をうまく連打しないと連射するのは難しかったけど、○ボタンに変わってからはそれを気にしなくてもよくなりましたからね。
ちなみに□のゴムボタンの頃は爪でボタンをこする事自体が出来ませんでした。つまり、ハイパーオリンピックで高記録を残す事は不可能!(笑)
翌1985年にハドソンの「スターフォース」が発売された頃には日本中に連射が出来るキッズが大勢いたのは間違いなく純正コントローラーの○ボタンのおかげでしょう。

まとめ
話しのまとまりがつかなくなったのでこの辺で終わりますが(笑)
とにかく今でも初めてファミコンを手にした頃の記憶はばっちりと自分の頭の中には残っています。
きっと自分と同じように初めてファミコンを手にした時の昔の事をしっかり覚えている人もたくさん居るでしょうし、世代が違えど初めてファミコンを手にした人たちにはそれぞれの思い出があるのだと思ってます。
あなたにとっての初めてのファミコンはどんな感じでしたか?
今回の記事は初めて自分の家に初めてファミコンがやって来た時のお話でした。


コメント